カルメン・マリア・マチャド『彼女の体とその他の断片』

カルメン・マリア・マチャド『彼女の体とその他の断片』を読んだ。

etcbooks.co.jp

 

「女の体」アンソロジーなのかな?と思うほど、印象ががらりと変わる短編群すべて同じ作者であることに驚く。題材から心の距離を近づけて読みたくなりがちだけど、そんな心構えをしていると身をかわされるようなつかみどころのなさもふんだんにまぶされていて、これはそういうもの、と割り切って読むと逆にピンとくる瞬間があったりする。『母たち』の三作までふむふむと読んでいたら『とりわけ凶悪』でいきなり知らないところに放り出されて途方に暮れたけど、途中からこういう場所もあると景色を眺めることに徹してずんずん進んだ。目がベルの女の子たち、実写化では絶対見たくないけど文字で読む分にはぞぞっとした感覚とともに忘れ難さがある。

わかるわかる、と思って読む物語はしんどいときもあるので、行間からじわりとにじみだすもやがなじみのあるものであるかもしれない、と目を凝らしたり匂いをかいだりするくらいの距離の読書も必要だと感じる。しかしまた読み返したらピンとくる箇所が変わりそうだ。

『母たち』の食べ物(おいしさ問わず)と『本物の女には体がある』のドレスの描写の豊かさが好き。特に後者はめちゃくちゃ皮肉が効いているタイトルからして何度も呟きたくなる。岸本さん訳なのが納得しかない。「女たちが消える」のが不景気の真っ只中に始まった現象であること、「消える」ことを恐れる登場人物の心情描写に生々しさを覚えながら読んだ。

 

訳者後書きで、影響を受けた作家の一人に小川洋子がいるのを知って、読んでいると自分の身体との連続性を感じてちょっと具合が悪くなるところが誰かを思い出すなと思っていたので、かってに納得してしまった。『レジデント』は他の作品に比べてメッセージがストレートすぎる気もするけど、世俗から隔離された館に集められたアーティストという元々好みのモチーフをずらしてゆく物語なので、馴染みのよさを味わっていたらハッとさせられる、というバランスは個人的にはよかった。蛇行する川のほとり』あたりの恩田陸も思い出している(かってに)

 

『八口食べる』は、自分の体を自分が望む姿になるようコントロールしたいという欲望にどこまで従うべきか、その望みは女はかくあるべしとされている旧態依然とした価値観の内面化ではないかという問いかけがある物語だと思うんだけど、この短編に限らず現実では起こり得ない現象が描かれる短編集なので、こうすべきだ、とストレートに警告を発する話ではない。そのせいで、そのおかげで考え込む。

 

なりたい自分になる、その欲望は自分だけのもので、コントロールできることは権利であり、危険性も認識して選択するのであればそれはポジティブな行為である、という強いメッセージも、私にまた難しい。自分の決断であればそれを支持する、と他者の行為を称賛することはできても、翻って自分の話になるとまだどちらにも振り切れずにゆらゆら揺れながら日々を過ごすことしかできていない。