「現実八割幻想二割」『MONKEY』 vol.23 特集 ここにいいものがある。

 「現実八割幻想二割」『MONKEY』 vol.23 特集 ここにいいものがある。

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岸本佐知子柴田元幸短篇競訳」と聞いたら、岸本さんの翻訳文学行商人としての手腕に魅入られている人間として読まねばと思う。だいたいいつも買ったあとめちゃくちゃ積んでしまうんだけど、今回は短編ということもあり、えいやっと旬のうちに読めて嬉しい。毛糸との接続がいったん途切れ、読書につながった感覚がある。このブログのタイトルは一応yomuamu(読む編む)なので…

柴田さんの翻訳本は未読と思っていたら、レベッカ・ブラウン(好きです)を読んでいた。

 

 岸本さん訳のサブリナ・オラ・マークの短編3作を一気に読み、これはいったい、と頭の中がクエスチョンマークで満たされたけど、同時にわけがわからんものを読みたい気持ちも満たされた。「廊下で、娘まみれのお母さんと出会う。全部で五人」「娘は十五に増えている」(!??)みたいな容赦ない畳み掛け方の迫力に飲まれる。

 

 めちゃくちゃ岸本さんが好きそうなのがわかる(おこがましい物言いだ)ルイス・ノーダン『オール女子フットボールチーム』はオール女子フットボールチームの内側(女子)の視点ではなく、それを指をくわえてみている「女どうしの絆に嫉妬する」男子視点なのがいい。外側から見つめる男子によって女子が客体化されているのではなく、主体を取り戻した女子を見つめることによって自らを客体化の対象とし、最終的に男子の自分を意識し直す物語にも読めるし、それがユーモラスかつ切実なものとして語られているところ。男の子になりたい女の子の物語を読んでいた頃の自分が、これって「男の子になりたい女の子になりたい男の子」の話じゃない!?と興奮している。

 女子の美しい男装に対して、コミュニティのなかで一種の罰ゲームとして扱われる「女装」が、主人公にとって切実なものに変わる瞬間を「幻想2割」で描くバランスを、冒頭で南部の男性としての「男らしさ」をことさら強調される主人公の父にとっての女装の意味も併せて考えた。

僕の心の中には確かに欲望が、愛と言ってもいいものがあって、でもそれは黒とゴールドをまとったこの女性たちに向けられているのではなかった。

ルイス・ノーダン『オール女子フットボールチーム』(p.32)

 幻想成分多めの小説を面白がりたい気持ちは多分にあるけれど、マジックリアリズムに全振りしているとわたしは着地点がわからなくなるときがある気がするので、やはり現実8割幻想2割くらいが好みなのかもしれない。

 岸本さんの翻訳ものを読んでいると、絶対に体験したはずないのに、いつかどこかで出会った感覚に再会して懐かしさで泣きたくなるような瞬間があって『オール女子フットボールチーム』もそれだった。

僕は変わりばえのしない僕のままで、でも大太鼓の表面の弓と矢の毛羽立ったロゴマークと、それをぐるりと取り囲む〈ARROW CATCHER, MISSISSIPPI〉のかすれた文字は、お前のダメな部分がお前の敵ではないのだと僕に告げていた。

こういう箇所にいつまでもハッとしてしまう大人です。

 

 

 柴田さん訳ではカミラ・グルドーヴァ『アガタの機械』が特に好き。本当は大して仲良くなく気も合わないけどある目的のために放課後毎日一緒に時間を過ごす女の子二人、という設定がもうそれだけで良い。二人の遊びは光景が鮮やかに浮かぶようなぼんやりとしているような、じゃあなんでそれに延々と魅入られてしまうのかわからないようで、そういうことってあるよな、という謎の納得感もある。

 

 おふたりの対談が間あいだに挟まっているのも、友人に勧められてなんども聞き返した翻訳文学ラジオの鼎談を思い出し、嬉しくなってしまった。現実8割幻想2割くらいの話が網に引っかかるようになった岸本さんが、前は「幻想十割上等」と思っていたという箇所は、字面から肉声が響いてくるようなおもしろさがある。比率はもう少し幻想に寄っていたとしてもその中に現実に根ざしているとおぼしき人やものの細やかな描写がしっかりあるのがいい(意訳)という話にとても納得。アホウドリがぬめっと存在感をあらわにしていたり、雨でびしょ濡れになってそれ自体が泣いてるように見える靴下のせいで机の下にできた水溜りを後ろの席からのばした脚でならしてごまかしてくれる同級生との親しくなり方とか。

 

『変愛小説集』を積んでいたのでほくほく崩したい。

「変愛小説集」既刊・関連作品一覧|講談社BOOK倶楽部

 

既読の岸本さん訳短編集だと、『楽しい夜』が特に好き。ルシア・ベルリンもミランダ・ジュライも入ってる!

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