「よく聞きなさい、秀雪。あたしは、今、あなたのそばにいてあげられない。でも、かのじょは片時もあなたから離れることはないわ」 温又柔『魯肉飯のさえずり』

 「よく聞きなさい、秀雪。あたしは、今、あなたのそばにいてあげられない。でも、かのじょは片時もあなたから離れることはないわ」

温又柔『魯肉飯のさえずり』

 

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 母と娘、台湾をルーツとし、日本に住む二人の主人公視点の章が交互に展開される物語。これまでのエッセイや小説もほとんど読んでいるので、温さんが何を核にして書きたいかという思いはひしひしと伝わるのだけど、娘の夫やその家族の描き方の厚みが、対する主人公側の家族、親族の書き込みと比べてかなり薄く思えてしまい、彼らが登場する箇所を「書きたいことのための設定」という意識を常にどこかに置いたまま読んでしまったのは、私の先入観の問題かもしれないけれど少し残念だった。「書きたいことのために設定を作る」ことは当たり前なのだろうけど、こういうテンプレート設定の男と家族像をわかりやすい障壁として持ってくる物語ってあるなという物語進行上の便利な存在のように思えてしまい、特に第1章はその設定を読者に説明する部分という意図を強く感じた。

 「加害者」側の彼らにも理由があった、という物語を読みたいわけではないし、日本社会が想定する「普通」の家族のほころびを描くためのあえての薄さとは思うのだけれど。また、その「家族」に対峙する主人公側の「家族・親族」像の、何があっても一緒に悩み受け止めてくれるどっしりとしたあたたかさが、私にとって少し窮屈なもののように感じられたのも引っかかってしまった理由の一つではある。

 

 子どもに対する期待を義理の家族からかけられると辛いけど、血の繋がりがある親族からならばそこまで辛く感じなかった、という桃嘉(娘)の心理描写も、発する側への印象によって言葉の受け取り方が違うという体験は実際あるものだけれど、そこに言葉(桃嘉は自由に使いこなせる言葉として叔母たちの言葉を受け取っていないというクッションもあるが)と血の縁が密接に絡み合っているから、という背景を透かして見てしまうと、個人的には距離を置きたいタイプの物語としての側面も見えてきてしまう。

 相手のためを思ってというおせっかいさの性質の紙一重さ。それがうれしい時と苦しい時、両方矛盾なく存在するという事実も承知のうえで、物語の中での描かれ方って難しい。その描写の塩梅が、ある意味血縁重視の社会の歪さが、別の血縁によって解決される物語ともとらえられる見方もできるなと思ってしまった。作中で円満に生活する秘訣として提示されていた、家庭の中で夫になんでも言える妻、のように、家族同士でもぽんぽんなんでも言い合えることが理想とされているならば良いのだろうか。こう言われたら嫌、ということを相手が先んじて言わないように回避するのではなく、言われたら嫌と言い返すことで、対話の中で生まれていく関係性であれば? でもその関係性も「家族」ありきなのか。

 その「家族」が仕事が忙しくて専業主婦の雪穂(桃嘉の母)に引越し準備を全振りしている「優しい夫」ありきで構成されているのが、1993年という設定を考えれば「優しい夫」像のリアリティもわかるし、雪穂が日本にやってくるのもそういう働き方をしている夫ありきなのはわかるのだけど、2020年に書籍化された(雑誌掲載は2018年)物語の設定として私はあまり素直に受け取れなかった。「嫁ぐ」ということの扱い、諸々の基盤の描き方を考えると桃嘉(娘)の名字の取り扱いも、生まれた時からの名前へのこだわり以上に「家族」「家」という単位を重視している風にも読み取れてもしまうのはうがった見方だろうか。(台湾では夫婦別姓だけれど、雪穂(母)は日本に帰化しているためその選択肢はなく、「家族」という単位の重要性を母が娘に説く場面がある)温さんのエッセイ等から感じ取っている主義を思うと、その意図はないんだろうなとは思うのだけれど、本作だけ読むとよくわからなくなってしまう。

 『来福の家』を読んだときは、温さんのエッセイを読んでからだと(ご本人の経験からのエピソードだな)という箇所がくっきりしてしまうところもありつつ、物語のなかで再度語りなおされることで立ち上がってくるものもあるとポジティブに捉えていたけれど、今回は(またこのエピソードだな)(重要なテーマとして度々取り上げたい意図はわかるけれど)という印象の方が強くなってしまった。

 

 雪穂(母)は桃嘉(娘)の自立心を重んじているし、お互い個として向き合う物語として描かれているとは思う、思うけれど。自分の根っこを強く意識してそれをポジティブに受け止める物語のバリエーションの一つとしてあまり好みではないかもと考え込んでしまう要因には、その根っこについて深く考えずに生きてきた私自身の特権への無自覚さもあると思うので、自分に合わないと感じただけでこの物語を否定できるはずがない、否定したいわけではない。

 

 しかし私が引っかかった要素を逆にポジティブに受け取った人は多いだろうなと想像しているので、日本の社会で台湾をルーツとする人たちが生活を送ることで直面するもの、私も含め、読者の多くがその障害を生み出す側の属性を持っていることを穏やかに突きつけつつ、血縁家族・親族の結びつきが肯定的に描かれた物語であることは共感を得やすいのかもとは思っている。(ロマンスに結びつきそうな老師のエピソードも含む)