「あたし、年取らないことに決めてますから」/小津安二郎監督「東京物語」

「あたし、年取らないことに決めてますから」/小津安二郎監督「東京物語

 


  ひとつの家族が畳まれてゆく姿を通して、戦後の時代の終焉に向かう価値観が示された映画と思って見た。

 自分もこのように親に期待されているのだとしたら苦しいが、期待に応えたい気持ちが捨てきれないという苦しさもまた存在するな…と、これまでの人生ですでに出会った/これから出会うであろうシチュエーションに辛くなりつつも、この時代にすでに血縁家族の息苦しさを描いた映画が作られていたのだということに救われた気にもなった。

 物語終盤の義理の姉・紀子から妹・京子への言葉で明確に語られているように、歳を重ねればそれぞれの生活ができ、家族はバラバラになる、という事実がそういうものとして淡々と描かれている映画だと認識しているけれど、親子の絆も寂しいものね、それに引き換え義理の娘の原節子のやさしさといったら…(感動)といった見方をする人もいるのだろうなと思う。親のような年齢の人たちに自分たちの人生はよいものだったと思って生きて欲しい気持ちはあって、それはきれいごとではなく、自分たちが同じくらいの年齢になったときに人生をよいものだと思いたいからというのと繋がっている。でもそこに子どもに対する過剰な期待、その子どもの人生の成功込みで自分たちの人生のよしあしを決めて欲しくない気持ちもある。

 これを若い頃に面白く見ていた人は自分が親の立場になったらどういう視点で見るのだろう、そして自分もまた歳を重ねてから見返したら視点は変わるのだろうか、と思うような映画でもあった。


 血のつながった子から親への孝行が気持ちがゼロではないけれど形骸的なものとして描かれるなかで、戦死した次男の妻の原節子が徹底的に「わきまえた良い嫁」として振る舞う姿を、義理の父が「こんなに良くしてくれるのは他人のあんただけ」と口にする終盤の場面がとても象徴的で、亡くなった次男の妻という血の繋がりのない彼女がいるからこそ、血縁関係にあるひとつの家族が解体されて、また別の小さな家族が作られてゆくさまがくっきりするように見えた。

 途中まで「嫁」が義理の親を喜ばせようと甲斐甲斐しくケアする姿を美しいものとして描かれることへのしんどさが先に立っていたけれど、ケアを担わされる側の原節子の亡くした夫への想いを通じて家族の縁に対する感情が発露される場面で、彼女もまた義理の関係であっても家族が解体されることに心細さを覚えるひとりだったのだろうかと気づかされ、物語の受け取り方が少し変化した。戦後の誰もが家族の誰かを失っている状況、かつ女がひとりで暮らしてゆくことが困難なことが想像される時代において、一人で生きてゆくよりも、義理の親であっても誰かと結びついていたいという切実性は、現代を生きる私が思っている以上に強いものとして存在するかもしれないという想像。義母への「あたし、年取らないことに決めてますから」という台詞は、耳にした直後はギョッとしたけど、歳を重ねないと決意することで亡き夫のことを忘れないように生きる、イコール義父母である人たちとの関係を切らずに家族の絆に縛られていたいという意味にとってよかったのか。

 義父への「あたし、ずるいんです」という告白は、世話を焼かれる方もまたその厚意を受け取る心構えが必要になるとは思うけれど、そうは言ってもこの場面で原節子演じる紀子がずるいと思う人っているのだろうか? ひとつの家族が役目を終え、解体されゆく過程で、息子や娘側に属する存在のうち、彼女だけがその事実を強烈に意識して時の流れに逆行して振る舞うのは、彼女ひとりの思いでどうにもならない状況がそこにあるからではないだろうか?

 夫を亡くした後に「誰かいい人がいたら…」という言葉を、親切心から出たものであっても義理の親からしつこくかけられることは、当人にとって「いい人」の要不要を問わずつらいだろうけれど、この作品では、この時代に女ひとりで生きていることをはつらつと肯定的に描くよりも、その違和感を感じている女性を描くことで、確かに存在するであろうつらさを可視化させるほうをとったのではないか、と考えている。

 


 上記理由を想像していったん納得しつつも、やはり原節子の甲斐甲斐しさは、義母の危篤の知らせに駆けつける際、喪服を持ってこないという選択含め、あまりにも実在を疑う「嫁」ぶりなんですよ。かつ感情を吐露する場面も相手が受け止められるタイミングばっちりアンド受け止められる範囲のものにわたしには見えてしまい、こりゃやっぱり都合が良すぎでは〜?と大きくのけぞったとき、本当は次男は存在せず、紀子は家族の絆を求めてまったく縁のない家にするりと溶け込み棲みつく系妖怪なのでは?という妄想がポンと浮かんだ。

「あたし、年取らないことに決めてますから」ってそういうことだったのか…?(違います)あるいは「あのときあなたに助けてもらった鶴です」みたいな原節子…そういう、温度は低いが湿度は高いような印象を受けた。

 紀子側の親族の描写がないことも、亡き夫を通して義理の親、親族らとの対比を際立たせるためだと想像はつくけれど、原節子の浮世離れした様子から、もはやそれすらも親族の不在を連想させるためなのかどうかわからなくなる。彼女は初めから成人した紀子という存在としてひとりでぽこんとこの世に送り出されたのでは?とすら推測してしまうようなよるべなさがある。


 義父母へのかいがいしさは基本的にとても節度を保ったものなのに、義母に小遣いを渡す際の掌にねじ込んで上から掌を重ねるというボディタッチ(??)とダメ押しの伏目がちなほほ笑みの威力がすさまじいし、ラストシーン間際の義理の妹・京子の身なりを出勤前に整えてやる手つきのまめまめしさも含め、男性陣には一切ないからこそ、義理の家族の同性への、ここぞというときのスキンシップから透ける気持ちの寄せ方にじっとりしたものを感じてちょっとびびった。これから直接的に父のケアを担わされるであろう京子にとって、義理の姉の存在は大きいものになるかもしれないけれど、妹へのでかい矢印フラグが見えて、京子気をつけて?!とも思ってしまった。これをシスターフッドと呼ぶのはちょっと何か違うと思わせる距離の詰め方。

 


「義理の嫁」である原節子を中心に見てしまいがちだけど、子どもはおらず(たぶん)、自分が経営する美容院でバリバリ働く長女の、実の親に対するからりとした距離感は見ていてけっこう救いだった。母への余命宣告に泣き出すのも泣き止むのも早い。通夜の食事の場で、父の方が先ならよかった、と当人が席を立ったちょっとの隙にあっけらかんと口にする姿が、でもこういう人いるよね、と思わせる、悪人ではないほどよさで描かれていること。

 遠方に住む親しい人の危篤に駆けつけるときに喪服を持参する/しない問題は永遠の課題な気がする。喪服エピソードも含め、全編を通して、見ていて若干気まずくなる、そのドキッ!で鑑賞者に何かを強烈に印象付けるようなエピソードを入れ込む方法が好みだなと思う。

 


 また、父と母の、ただにこにことそこにいるだけで娘や息子たちに何かを期待しているように感じさせるオーラの描き方がとてもうまいので(演出というより親というのはみんなそういうものかもしれませんが…)、そりゃ東京見物連れてこうとするよね、でもめんどうだよねと思うし、そういうところに原節子みたいな義理の妹がいたら使ってしまう、それでも間が持たないなら熱海にでも行ってもらいましょうか、お金出すくらい安いもんよ、となるよな〜〜とめちゃくちゃ納得しつつも、子どもらに厄介者扱いされていることをうっすらと感じている、大きな感情を表情には載せない父と母のまるめた背中に罪悪感をおぼえてしまう、ので子どもへの期待をむげにもできない、というスパイラルに陥る…そうなったときに非実在嫁の原節子に自分の中のなけなしの孝心を託して、ありがとう節子…私はあなたのようにはできないけど…みたいに見てしまう可能性もなくはないのかもしれなかった。たぶんそういう映画ではないが…

 

 

 

印象深いシーン箇条書き

・祖父母の部屋を用意するために机を片付けられた子どもが駄々をこねる様子が、勉強机として普段遣いしていなかったとしても、子ども部屋がない子どもにとってみたら、机のあるなしで自分の居場所が奪われてしまったかのように感じるだろうなと気持ちがよく伝わる場面だった

・熱海旅行の眠れない夜の描写とふたつ揃えた靴のカット。うるさい!と怒鳴ってくれたらよっぽどよかったけど、それすらない、団扇で身体を叩く姿を延々見せられることによる、カタルシスのなさのつらさ…

・今夜の宿のあてを求めて二手に分かれる父と母が上野公園で座り込む様子

・義母を泊めた夜、布団に仰向けになる原節子の寝る直前の横顔。ただぼんやりしているだけでも、何かを深く考え込んでいるように見える顔。

・義母が忘れがちな傘をいそいそとうれしそうに手に取る原節子

・実母の危篤の電報を受け取った時の長男長女の腰の重さ

・墓に布団は着せられぬ